「情けは人のためならず」

「情けは人のためならず」は、頻繁に誤用される慣用句である。文化庁が行った「国語に関する世論調査(*1)」では、「情けは人のためならず」の意味を問うて、「人に情けをかけて助けてやることは、結局はその人のためにならない」という解釈と、本来の正しい解釈との二選択肢から選ばせたところ、誤りである前者を選んだ人がわずかながら上回った。

念のために書いておくと、「情けは人のためならず」とは、人に情けをかけておくと、巡り巡って自分にも情けをかけられるものだから、他人に情けをかけるのはその人のためだけではなくて、結局は自分のためにも良いことだという意味である。

そもそもこのことわざは、「情けは人のためならず 巡り巡りて己が身のため」という七五七七型をした格言における上の句にあたる。この警句全体を読んで意味を取り違える人はまずいないはずだから、誤解が蔓延する原因は下の句が省略されたところにあることは間違いない。逆に言えば、「情けは人のためならず」の部分だけを抜き出して慣用句として学校で教えるものだから、入学試験に格好の題材を提供するのである。頻繁に入試等にでも頻出されている。

*1 平成7年度から毎年行われている調査。各調査結果は文化庁のホームページで見ることができる。

情けをかけるのが自分のためになる理由

他人に情けをかけることが、その人のためだけではなくて、結局は自分のためにも良いことになるためには、その背後に現在の譲歩が将来の報酬で報いられるという暗黙の約束がある。そのような暗黙の約束がうまく機能したときには、お互いにとって利益がある。その理屈は単純だ。

いま3人で1台の自転車を持っているとしよう。誰もが自分の予定に合うように自転車を使いたいだろうが、自転車を3つに分けることはできない。だからといって、奪い合いの喧嘩をすることは最悪である。このような場合には、もちろん順番に使うのがよい。その日にそれほど必要でない人は、先に譲っておけば将来自分が本当に必要とするときに、おおいばりで使えることになり都合が良い。その日に必要だった人は、先に使わせてもらえればもちろん満足である。

情けを返す相手は、かけてもらった相手には限らないとすると、お互いに利益のある約束の適応範囲はたいへん広くなる。狭い道を行こうとする2台の自転車があったとき、お互いに顔見知りでなくとも、片方が譲れば快適に通行できるであろう。このとき、譲られたほうが、将来同じ相手を探し出して、道を譲り返して情けを返さなければならないとすると、これはたいへん難しいことになる。ところが、譲られた人は誰でもよいから都合の良いときに道を譲ることで借りを返せる仕組みにしておくと、お互いに譲り合って物事がうまくいくというわけだ。

昨日より、西日本は大寒波に覆われたが、行きかう車も譲り合う精神でちょっとだけ相手の気持ちを顧みればもっとスムーズに進むのだがなー。

新米の山科でした。